美しい建築を確かな技術力で実現します
建築技術2018年9月号書評

書評:建築技術/’18.9月

Post Series: コラム執筆・インタビュー

ザ・ブックス(書評)
多彩な論考が示唆する時間軸の読み解き方

石田潤一郎氏の著書、「建築を見つめて、都市に見つめられて」の書評を執筆しました。

石田氏のご専門の近代建築史に関する内容だけでなく、多様な視点での文章が収められており非常に面白く、そして勉強になる一冊でした。

いわゆる論文ではなく、あらゆる媒体に掲載された論考を集めたものなので文調が親しみやすく、そうでありながら文中に出てくる一つ一つの事柄を知っていないとついていけない内容となっています。
私の歴史に対峙する姿勢が、前のめりに変わるきっかけを与えてもらいました。

本書は石田潤一郎氏の京都工芸繊維大学退官を機に、石田氏が今まで書かれた膨大な論考の中から選別し、まとめたものである。編者の中川氏が巻頭言で‘一流のエンターテイメント’と評した通り、読み進めていくと次々に興味の扉が開き200頁を越えるあたりからは、終わってしまうのが惜しくて残りのページの薄さが気になり、でも読み進めたいというおよそ建築や都市の、それも歴史を語っている本を読んでいると思えない心境になっていた。

石田氏は論考「保存再生の根拠を求めて(2002年)」の中で、歴史的建築物が失われていく理由として、機能の破綻・構造的問題・文化財的価値の軽視によると論じている。16年経った今年、文化財保護法改正が採択された。石田氏が “外からも内からも変化を迫られてきた”と論じた京都は、文化財活用の場面においても変化が注目されている。平安神宮を中心とした岡崎地区は、思い切った文化財活用の道へと舵を切り「幸せな建築」が集結する場所となりつつある。本書を読むと、人々の保存への訴えと、時間の経過が好機を生んだ側面があると理解できる。

村野藤吾氏とその作品については石田氏が長年論じており、本書にもいくつか掲載されている。村野作品の変容と影響力に改めて驚きをもったのだが、近代建築史にとって重要な村野作品でも解体の危機にさらされることが増えている。私の身近な北九州には、八幡市民会館と福岡ひびき信用金庫本店という2つの村野作品が現存する。前者は2014年度末に閉館された後、2017年に当面保存と結論が出され倉庫として残されている。隣では病院が建設中で、近接したその2施設の配置を見ると今後の積極的な活用の可能性が残されているのか疑問だ。後者は維持費がかかる上、活動エリアの中心地が昔とは違い使いづらいという話を聞いていた。最近になって、「福岡ひびき信用金庫と村野藤吾」という施設を使い続けることへの熱い想いが詰まった小冊子を、事業者が2015年に発行していたことを知り思わずニンマリしてしまった。不自由さや手間を超えて文化資産を受け継ぐ、という事業者の思いの有無に、運命が委ねられてしまっている現状もあるのだ。

また本書では、折に触れて建築のディテールにも言及している。印象に残るものの一つが、ヴォーリズ建築についての論考だ。 “ヴォーリズ建築に身を置くとき、人は失われた要素がどれほど魅力をたたえていたかに気づきます”と記されているのだが、私もまさにその一人で、大丸心斎橋店が一時閉店となった最終日には、細部に渡り優雅なディテールを目に焼き付けた。ディテールとは本来建築家の哲学が宿るものであり、そうした観点でこれからの時代も再注目するべきではないかと感じている。

本書の魅力は建築家自身の苦悩や心の揺らぎ、そのことが作品にどう影響したかについての推察が示されていること、そして多彩な論考の中で、こう語りかけてくることだ。「都市の歴史を知り、建築家が生み出す建築との関連を読み解くことは面白い。だが歴史に学ぶということは、今後わたしが取り組むべき方向を考えることだ。さあどうする?」